パチスロとアルコール依存症の私

あなたの趣味は何ですか?

そう聞かれると非常に困ってしまう。

胸を張って人に言える趣味が、私には無い。

恥じらいを恐れずに言うと、パチンコ、パチスロ、麻雀、カジノなど、ギャンブル全般は大好きだ。

大学時代にパチスロにハマる

ある日、大学に入ってできた友人Eは私をパチスロ(パチンコ型スロットマシン)に誘った。

パチスロはそれまでやったことがなく、初めての経験だった。

その日は休日でもなく、平日だった。学校はサボりがちだった。この頃は酒を飲んでいたが、まだアルコール依存症ではなかったと思う。

学校に行っていなかったのは「二日酔いだから」とかではなく、ただ単に授業に出る気がなかっただけだった。無気力。

そうして行った初めてのパチスロでは、あっという間に2万円を稼いだ。

ルールはよくわからないが、どうやら”当たり”をひいたようで、けたたましい音と共にじゃらじゃらとメダルが出てきて、1時間も経たないうちに大金を手にした。

別に面白いとは思わなかったが、驚きはあった。お金を手にするのは純粋に嬉しかった。

時給2万円と考えると、アルバイトするのがバカらしいと思えた。

勝った日と負けた日

気がつけば朝から一人でパチンコ屋に並んで、パチスロに勤しむ日々を送るようになった。

パチスロで勝つためには「どの台に座るか」の選択が非常に重要だ。

開店と共に複数の台のデータを比較。他の客も私と同様、より良い台を狙っているので、ここはスピード勝負。

前日の閉店前に店を訪れてデータを見ておくのも、ここでの時短になる。

自分なりのロジックで一つの台を選択して、タバコで席をキープ。その後はゆっくり缶コーヒーでも買って、永遠と回す。

よく勝った日は10万円を超える金を手にして店を出る。一方で、同じくらいの額を負ける日もあった。

負けた日は帰って寝るか、気を紛らわすべく飲みに行く。パチスロで負けた金額からすると、数千円の酒代なんてたかが知れている。

勝った日は勝利の祝杯をあげる。あぶく銭は大切にできない。

あれ?

つまり、勝っても負けても酒を飲むのだ。

何のためにパチスロに行くのか

馴染みのパチンコ屋の常連のおじさんやおばさんには可愛がってもらった。親と同じくらいの歳の人たちとの友達付き合いは新鮮だったし、面白かった。

しかし、それがパチスロに没頭する理由ではなかった。

勝ったお金で何か買いたいものがあったのか。そういう日もあっただろうが、必ずしもそうではない。

純粋に勝ちたかっただけだった。

換金時に投資金額よりも多くお金が返ってきたら勝ち。そうでなければ負け。非常にわかりやすい。

ただ、勝ってお金を手にしても、特にやりたいことはなかった。

そういうときに酒は便利だった。単純な「お祝い」として成立してしまう。

目的がないギャンブルは飲酒に繋がりやすいと、自分の経験から感じる。

私の中で、「勝ちたい」「祝いたい」にすり替わった。そして、「飲みたい」に変わったのだろう。

パチスロと私の今の距離感

試験前にガリ勉して、何とか留年せずに就職した私は、仕事を始めてから自然とパチンコ屋との距離ができた。結婚すると、休日は家族との時間を過ごす。さらに足は遠のいた。

そして酒と離れた今となっては、勝っても「お祝い」がない。

これといった趣味がない私は、今でもたまに、一人の時間をパチスロで過ごすこともあるが、何のためにやっているのかよくわからなくなる。大学時代のように没頭することはもう無いと思う。

私の中に明確に存在したパチスロから酒へのベクトルは、酒との距離に比例して弱まり、パチスロ熱は落ち着いた。

こういった実体験から、ギャンブル依存症とアルコール依存症は関係が近いと思う。双方に手を出さないことが重要だと感じる。

勝って祝杯をあげ、負けて気を紛らわすために飲酒していた当時は、一歩ずつ確実に、アルコール依存症(およびギャンブル依存症)への道を進んでいたのだと思う。

2 COMMENTS

タチバナテン

コメントいただきましてありがとうございます。
酒無しの気分転換と本気で割り切れていれば良いのですが、
やっぱりどこかリンクしている部分があるとは思います。
気をつけつつ…自戒の念をこめて…

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