その先輩は腕相撲が異常に強い。
就職活動で特技を質問された際も「腕相撲では負けたことがありません」と答えていたらしい。
あまり発展性の回答なので就活にふさわしくないと思いつつ、素直に言えてしまう無邪気な先輩は可愛らしくもある。
強要される腕相撲
先輩Mとは、大学院の研究室で出会った。
仲良くなったのは研究室内での飲み会だった。
研究室には飲み好きの人間が多かったが、先輩Mもその一人。
研究室内の飲み会では、酒を飲むことを強要されることこそないが、飲んでいなかったら「弱い」だの「男らしくない」だの、異常に煽られた。
酒を飲むことができない人は、そういった対象にはならないが、少しでも飲めるとターゲットになり得る。
飲み会の終盤は、いつもカオスだった。
皆が思い思いに酔っ払い、普段心穏やかな先輩Mも酔うと凶暴になった。
先輩Mは力が強く、暴れだすと3人がかりくらいでないと止められない。
酒を強要しないかわりに腕相撲を強要され、腕を机に強く叩きつけられる。
その際に腕がグラスにあたり、床に落として割れてしまうこともしばしばあった。
競うこと
先輩Mは「競うこと」が好きだった。
当時ウイニングイレブンというサッカーのゲーム(以下、ウイイレ)が流行っており、研究室内に設置されたプレイステーションで先輩Mと私は研究そっちのけで戦った。
二人の実力は拮抗しており、勝っては煽り、負けては煽られて、なかなか終わりにすることができない。
それ以外にもトランプの大富豪やUNOをやった際も、二人はいつもライバルとして戦っていた。
よく二人で飲みに行ったが、やはり酒量を競っていた。
ゲームの強さも飲める酒の量も、先輩Mと私はいつも接戦で、それが二人で盛り上がった理由なのだろう。
反省
こういう風に書くと、先輩Mは私と同じく不真面目なダメ学生に見えてしまうかもしれないが、実は私とは根本的に違って、学業に真面目だった。
成績も優秀で、ゲームを良く一緒にしていたとはいえ、研究の成果もあげていた。
ただ、酒を飲みすぎてダメになる点は私と同じだった。
自分の眼鏡を壊してしまったり、転んで怪我をしたり。
酔っ払った翌日は、ひどく反省し落ち込んでいた。
先輩Mは反省し始めると、頑なに酒を断るようになる。
「おれは戦わん」
釣れないなぁと思いながら、私は一人で飲んでいた。
結婚相手
その後先輩Mは先に就職して、遠く離れた地で社会人をはじめることになった。
私はもう一年、学生生活を楽しんでから社会人となった。
そして、再会した際には、お互い結婚していた。
私はアルコール依存症として治療を始めたところで、断酒中だった。
正直、先輩Mと会うと飲んでしまうのではないかと思い、会うのに気が進まなかった。
しかし会ってみると、先輩Mはほとんど酒を飲まなくなっていた。
私が断酒しているからではなかった。
どうも奥さんが酔った先輩Mをひどく嫌がり、飲みにくい状況になっているらしい。
そりゃあそうだろうなと思った。
かくいう私も、妻に飲酒を嫌がられていたし、アルコール依存症を指摘してくれたのも妻だった。
ふと周りを見渡すと、かつてよく一緒に飲んでいた男友達は、皆、奥さんから飲酒の注意を受けているし、飲みにくそうに飲んでいる。
もともと飲むのが好きなのだから、飲み好きな女性と結婚してワイワイやればよいとも思うが、揃ってそういう女性を選ばないのは不思議なものだ。
皆、今では酒との距離感を考えて生活しているのではなかろうか。
つい先日先輩Mと会った際も、先輩Mはビールを2杯しか飲まなかった。
私はゼロだった。
もうゲームをしたり、酒で競い合うことはないけれど、仕事の話をたくさんし、非常に有意義な時間だった。