友人Jは高校時代に一緒の部活に所属していた。休日なども、よく2人で練習したものだ。
大学進学へ向けて一緒に受験勉強に励んだ。その後、別々の大学に進学。
彼は北海道で、私は京都。大学進学後は年末年始に1回会う程度。でも毎年欠かさず会うくらい仲が良い。
酒が飲めないのにホスト
彼はちょっと背伸びしてしまうところがある。いわゆる格好つけなのだ。
彼は大学に入るとアルバイトをはじめた。聞けばバーテンダーをしているという。
ただ、彼は体質的に酒を飲めない。
バーテンダーはきっと作った酒の味見をするだろうし、飲めないとツライのではという違和感はあったが、ある意味それも彼らしい選択だと思った。
そして、その後、彼はホストクラブで働き始める。飲めないのに…なぜ?
結果、飲めない酒をたらふく飲まされ、トイレで血を吐くに至り、数週間で辞めてしまったらしい。
彼も含めて高校時代の友人たちと久々に再会し、その話を聞いたときは、申し訳ないが大爆笑させてもらった。
飲めない友人を酒に誘うということ
私がよく酒を飲んでいたとき、彼と会うときもやっぱり酒を飲みに行った。
大学時代に飲みに行ったとき、彼は顔を真っ赤にして、飲めないながらも飲んでいた。
彼に対して私は酒を勧めることはしないし、高校時代はお互い飲んでいなかったわけで、それでも仲が良かったのだから、酒はあってもなくても良かったはずだ。
彼は酒を飲めないのだから、別の何かを一緒にしたほうが、彼に対して優しかったのだろうか。
私は、飲めない体質の彼に対して変に気をつかう方が、もし逆の立場であれば嫌だと思ったので、他の友人と遊ぶときと同様に、彼を飲みに誘っていた。
そして、私はたらふく飲みつつ、彼との時間を楽しんだ。
飲めない友人との距離感
アルコール依存症になり酒と距離を置いた私は、飲みに誘われることが滅法減った。
しかし、彼との関係性において、会う頻度や会う前の心持ちや会いたい感情は、酒を飲んでいた頃と変わらないし、高校時代とも変わらない。
今や大人になった彼は、無理をして飲むことはせずに、ジンジャーエールなどのソフトドリンクやノンアルコールのカクテルをオーダーする。
正直、飲まない彼の前では自分も飲まなくて済むと安心している。だから会っているというわけでは決してないが。
酒と距離を置いた私は「Jは酒を飲めないし飲まないけど、飲みにいくのは苦じゃないの?」と聞いてみたことがある。
彼は「もともと飲めないし、別に苦ではないかな」と答えた。
彼の世界には酒は無いのだ。酒が無くても楽しい世界を彼は知っているのだろう。
私はどうか。
酒が無くても楽しい世界も知っているが、酒を”上手に”飲めればさらに世界が楽しいと考えてしまっている。
でも忘れてはいけない。アルコール依存症は上手に飲めないのだから、飲んだ世界が楽しいはずはないのだ。
何はともあれ、私が身勝手に飲んでいた頃からずっと仲良くしてくれていて、今でも高校時代と何ら変わらずに接してくれる彼に、私は心から感謝している。