断酒が難しいというのは、多くのアルコール依存症患者の共通認識だと思います。
私も断酒は難しいと思います。
だから減酒治療に切り替えた、という単純な話ではありませんが、断酒治療をしていた当時、それが続いていれば、今でも減酒に切り替えること無く断酒しているとは思います。
私が断酒から減酒に切り替えた理由は過去に記事にしていますので、もしよかったらご覧ください。

私の断酒後の最初の難関
断酒は「酒を断つこと」。
アルコール依存症でステージが進んだ状態にあると、酒を断つことで離脱症状に襲われます。
断酒スタート後の最初の難関です。
手が震えるなどの身体的な依存からくる離脱症状と、強い飲酒欲求に襲われるなどの精神的な依存からくる離脱症状があります。
私のステージはまだ初期らしく、断酒後に、身体的な依存に起因する離脱症状はありませんでした。
一方で、飲みたい欲求は飲み会の誘いを断るたびに増していきました。
これは精神的な依存からの離脱症状でしょうか。
ここを少し掘り下げて考えてみたいと思います。
断るという行為に伴う不安感
私は、これまで積極的に酒の誘いを受けていた人間です。
飲みを誘う側でもありました。
断酒をはじめることによって、まず、自分から飲みに誘うことがなくなります。
そして、飲みの誘い自体や、飲みに行っても酒を断るようになります。
これまで好き勝手に飲んでいた人間が飲まないためには、飲みの場に身を置かないのは自然な発想ですよね。
しかし、この「断る」という行為によって、
つまらない人間だと思われないだろうか
付き合いが悪いと思われないだろうか
友達がいなくなるのではないだろうか
と、不安に感じ始めました。
私にとっての断酒のはじめの難関は、身体的な依存によるものではなく、精神的な依存によるものかは定かではありませんが、何か大切なものを失ってしまうかもしれないという不安感でした。
私の断酒後の2つ目の難関
断酒後の最初の難関は、一般的には離脱症状でしょう。
私の場合は、典型的な離脱症状を感じたことはないつもりですが、「誰かに~と思われる(かもしれない)」というようなネガティブな思考が肥大化しました。
これが断酒を継続する難しさとなります。
断酒をしていたころは、飲みの誘いを断ることもありましたし、そもそも誘われないように立ち回っていました。
そうしているうちに、自然と誘われなくなってくるのを感じます。
冷静に考えれば、これは断酒する環境としては改善傾向です。
しかし、私の心の中は孤独感でいっぱいでした。
このときに感じていたのは、「断酒=酒を断る」ことなんだなぁということ。
私は自宅での飲酒習慣がなかったため、外食を除くと飲酒する危険性は極めて低いです。
なので、酒を断るというのは私の断酒においては非常に大きなポイントなのですが、これがまぁ難しい。
私は、良くも悪くも、人からの誘いやお願いを断りにくい性格です。
ただ、これは、誘ってくれた人やお願いしてきた人のことを思い遣っているわけではなく、自分が断ることで、自分がその人から悪く思われたくないという八方美人根性によるものです。
この私の思考回路こそが、私の断酒の最強の敵でした。
認知の歪み(ゆがみ)
最近Twitterで指摘を受けて知ったのですが、こういった「誰かに〜と思われる」と考えてしまうのは、認知の歪み(ゆがみ)と呼ばれるそうです。
認知の歪み(ゆがみ)にはいくつかのパターンがあるようですが、私の思考回路は認知の歪み(ゆがみ)における「心の読みすぎ」にピッタリ当てはまります。
「心の読みすぎ」とは、人がどう思っているのかを、その人の断片的な言動であったり、行動や非言語的コミュニケーションをもとにネガティブな可能性を推測することらしいです。
自分の困った思考回路に名前が付いていることに驚くとともに、自分以外にも同じような思考回路の人がいるんだろうという事実に、正直少し安心しました。
心を読みすぎる自分の思考回路がおかしいと認識することが、私の断酒には必要だったのでしょう。
そして、今取り組んでいる減酒治療にも、心の読みすぎは邪魔です。
日々努力
人にどう思われても良いじゃないか!と思えるためには、どうすれば良いのでしょう。
自分に自信を持つことでしょうか。
では、自分に自信を持つにはどうすればよいのでしょうか。
自分に実力をつけることでしょうか。
今、まだ私は自分に自信が持てていないので、仕事においては必死に勉強していますし、プライベートでは筋トレに励んでいます。
日々努力。
明日もがんばろう。