自分はプライドが非常に高い人間だと思います。
それが色々な場面で自分自身を苦しめる原因にもなっているし、アルコール依存症になった一因でもあると思います。
負けず嫌い
昔から、誰かに「負ける」ことが大嫌いでした。
例えば、小さい頃は、通知表(通信簿)の「よくできました」の数や50m走のタイムが自分にとっての重大な尺度でした。
通知表においては「よくできました」「できた」「がんばろう」の三択で成績を評価されましたが、よく友人同士で見比べていました。
そのときに「誰にも負けたくない」という気持ちがあったのを覚えています。
特に「よくできました」の数が重要です。
これをできるだけ多く取ることが目標でした。
「よくできました」は失点0。
そうでなければ負けてしまう可能性が出てきます。
最強の「よくできました」を取れるように、小学校時代は先生の言うことを良く聞きましたが、それは中学・高校と進学するにつれて、もはやどうでも良くなってきます。
誰かに認められたいとか、誰かに勝ちたいというのは、動機として不十分だと、今では感じています。
結局、自分で納得できるかどうかが全てだと思います。
50m走のタイムも、小さい頃は周りとの重大な比較ポイントでした。
社会人となった今では、速く走れることにどれだけの意味があるのかわかりませんが、当時は確実に重要な尺度として認識していました。
競争社会
受験、就職、出世。
何もかもが比較され、あるルールの中で有能な人が評価されます。
趣味においても、結果的に競争に至ることはあるでしょう。
おそらく、今に始まったことではないと思います。
昔から競争に勝る=優秀な人は評価されて、次の世代を導く役割を担っていたでしょう。
その上で、自分が競いたいなら競えばいいし、興味がないならば競争から離脱すればいいと思います。
勝ち目のない領域であれば、逃げるのが得策。
冷静に自分を客観視して勝ち負けを事前に判断できること自体が「賢い」ことだと思います。
酒で勝ちたかった自分
さて、酒についても、私は周りに勝ちたいと思っていました。
大学時代~社会人でアルコール依存症になるまでは、自分は酒では誰にも負けないし、負けたくないと思っていました。
もちろん、負けることもありました。
世の中には、本当に強い人っているもんです。
でも、そういう人に「一緒に飲みましょう!」と挑んではぶっ潰れる自分も、何か素敵な気がしていました。
その挑戦は、ネタとしては面白いと思いますが、結果としてアルコール依存症を招いたことを考えると、バカだったなぁと思います。
取り返しのつかないことをしてしまったのは事実ですが、この失敗はいずれ大きな成功に変わると信じています。