陳腐なタイトルと思われてしまうでしょうか。
そうかもしれません。
酔っ払っていないと言えないような発言ですが、私はそう信じていたりします。
信じること
中学時代の塾で、先生の入れ替わりがあり、新任のS先生がやってきた。
中学時代の私はいわゆる反抗期で、先生に対して意地悪だったと思う。
そしてまぁまぁ成績が良かったこともあり、先生としては扱いにくい生徒だっただろう。
常に先生の粗探しをしているような、嫌な中学生だった。
でも、新しくやってきたS先生が自己紹介を兼ねて話した内容は、今でも鮮明に心に残っている。
ちょうど中学3年生になった春で、これから受験を迎えるところだった。
すかして勉強してるヤツがカッコいいわけではない。泥に塗(まみ)れて努力したヤツが本当にカッコいい。一緒に泥に塗れましょう
(ふむふむ。何言ってるんだ、こいつ)
そして、信じてください。自分の努力は必ず上手くいくと
(うーん、本当にそうなのか?)
信じたことは必ず叶います
いやいや、信じて叶うなら、みんな信じてるでしょう!!
となぜかそう思えなかった自分に、自分自身でも驚いた。
そのときのS先生の熱量から、S先生自身が心底そう信じていることがひしひしと伝わってきた。
私も一旦「信じる」ことにして高校受験の勉強に励んだ。
結果、高校受験が無事に終わると、先生は私の中で神格化された。
失礼。
これは言い過ぎたが、高校に入って通い始めた美容室でも、同じようなことを聞いた。
想像すること
ある日、休日に美容室に行って、いつものスタイリストさんに髪を切ってもらっていた。
何の話をしていたのか、具体的には覚えていない。
どうせ当時好きだった女の子の話でもしていたのだろう。
そのときに聞いたセリフもまた、私の中で印象的だった。
想像できることは実現できる
おそらく「好きな女の子と付き合いたい」的な話をする中で、美容師さんからそのセリフが出てきたのだろうと思う。
そのキザなセリフは、笑って流してしまうようなものかもしれないが、当時の私の胸にはなぜか突き刺さった。
私は、それは的を射ていると思う。
きっと縄文時代に生きた人々は、現代のスマートフォンを利用した生活を想像だに出来ていなかっただろう。
とてつもなく先の未来に起こる出来事は想像すらできない。
空飛ぶ車やタイムマシーンとか、一度思い描けてしまった未来は、何年・何十年・何百年というスパンで見た際には実現できているのだろうと、私は思っている。
夢を描くこと
アルコール依存症である私は、アルコール依存症を治したいと思っているが、それは不治の病で、事実上きっと治らない。
と想像しているし、信じ切ってしまっている。
でもその病気と上手く付き合っていくことはできるはずだ。
と信じている。
断酒でも減酒でも良いと思う。
とにかく、酒と上手い距離感で付き合えている自分を想像できる方法で、アルコール依存症の治療に取り組むべきではないだろうか。
逆に、上手くいくと信じきれないのであれば、そのやり方はきっと上手くいかないのだと思う。
「信じること」「想像すること」
それは必ず叶う。
無論、信じたり想像したりして、それを実現するために努力することは必要なのだが。
私は「夢」という言葉が好きだ。
夢を見ながらアルコール依存症の治療を進めたいと思う。