自堕落な留学生活

留学時代の自堕落な私の生活を共有したいと思います。

ただの恥晒しですが、私自身のダメな部分をもっと知ってもらいたいというマゾヒスティックな感情で書きました。

私の留学にはどんな意味があったのでしょう。

留学に至った経緯

とにかく大学に行けてなかった私は、すべてを一度リセットしたかった。

パチスロばかりして、夜は酒を飲んで、次の日は昼まで寝る。

スーパーファミコンのリセットボタンは、ゲームが上手くいかなかったときに即座に押せたけれど、人生にそんなわかりやすいリセットボタンは存在しない。

親がグローバルに仕事をする人だったので、ある日、留学したらどうだ?と勧められた。

私は一人暮らしだったので、親は私の行き詰まった状況を知っていたわけではないと思うが、もしかするとどこか、何か感じる部分があったのかもしれない。

私は、もしかするとこれは自分を変えるチャンスかもしれないと思った。

将来英語を使う仕事に就くかどうかなんて、正直どうでもよかった。

今の自分の現実を変えたかった。

そして1年間大学を休学し、単身、アメリカへ逃亡した。

寮生活から一人暮らしへ

10ヶ月の留学生活を予定して、はじめの3ヶ月は寮に入った。

メキシコ人との相部屋だった。

友達を作ることに苦手意識はないが、そのメキシコ人との生活は非常にストレスが溜まるものだった。

夜に帰宅すると、彼は友人を大勢部屋に呼んでいる。

こちらは疲れて眠たいのに、断り無しのパーティー。

そして、あるイタリア人は土足で私のベッドに上がっているのだ。

…これって、彼らの常識では普通なんですか?

まぁともかく、私はそういったことを受け入れることはできず、3ヶ月が区切りだったのもあり、寮を出ることにした。

その頃学校に行けていたのかというと、実は十分には行けていなかった。

日本での堕落しきった生活は、アメリカに場所を変えたところで、簡単には変わらなかった。

せっかく留学したのだから、何か得なければ。

とにかく英語だ。

焦る気持ちはあった。

一人暮らしはバッドチョイス

一人暮らしをして、寮生活のとき以上に学校に行かなくなってしまった。

最悪だ。

昼食は家から出ずに近くのピザを出前する。

飲み物は酒屋で買った梅酒。昼間から飲んでいた。

英語の勉強をしなければと思って、ワンピースのアニメを英語字幕付きで見る。

…なんだこれは。

せめてもの救いは、友人との出会いだった。

ジュン(男)とウンジー(女)という名の韓国人と親しくなった。

彼らも酒が好きで気が合った。

夜はよく3人で出かけ、飲んで騒いだ。

彼らとのコミュニケーションはすべて英語だったので、その時間は英語で話す貴重な時間だった。

そして彼らと近くのカジノに出入りするようになった。

カジノで学ぶネイティブイングリッシュ

ひたすらブラックジャックをしていた。

パチスロよりも何倍も楽しかった。

賭けた金は目の前で一瞬にして倍になる。

手札がアツいと興奮する。

そして、カジノでは酒を飲みながらギャンブルできるのも良い。

勝つときは30万以上を一日で手にした。

ディーラーとの会話はもちろん英語。

ネイティブスピーカーと話す貴重な経験…とカジノ通いを正当化していたが、実際には「ダブル」だとか「スプリット」だとか、使っていたのはブラックジャック用語ばかりだった。

一人ぼっち

留学中は、出会いも多ければ別れも多い。

友人は次々と帰国していった。

学校にろくに通っていなかった私は、最後は一人ぼっちになった。

もはや学校に行く気力はない。

最後に学校に行ったのは、自分が担当だったプレゼンテーションの前日。

準備万端だったのにも関わらず、翌日のプレゼンテーションは面倒くさくて欠席した。

先生からは「失望した」との連絡が入っていた。

もう学校に行けなくなった。

そして、帰国の時期は迫ってきた。

それから私はひたすらTOEICを勉強した。

この結果だけ持って日本に帰ろう。手ぶらでは帰れない。

なんとか900点を超える点数を取って、帰国した。

楽しかった…のか?

日本に帰国した私は、親に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

遊び呆けた結果の楽しい留学生活ではあった。

…せめてそう思わないと虚しかった。

実際のそれは、日本での生活と全く同じ、現実から逃げ続けたもので、心から楽しいとは思えていなかった。

その後、日本では少し大学に行くようになった。

何とか留年せずに進級した。

英語を使う仕事は選ばなかったが、就職活動もある程度上手くいった。

留学して得たものとは

留学して私は何を得たのだろう。

「留学経験があります」と就職活動で話せたことくらいだろうか。

やらなければならないことができない自分を常に嫌に感じながら、それでも楽な方に逃げ続けた。

今思い返すともったいない時間を過ごした。

そして、現実逃避し続けた現実に嫌気が差して、さらに現実逃避するために酒を飲み、その後アルコール依存症になったのだ。

これを意味のある留学にするためには、この失敗を糧にして、自分の人生を成功させるしかなさそうだ。

これからは地道に、現実から逃げずにがんばりたい。

失敗はそれを認めた時点で失敗になるらしい。

もがき続けて、ダメだった過去をすべて塗り替えていきたい。

そう思えたことに、留学した意味があると信じたい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です