アルコール依存症である私が、減酒という治療を選んだ理由について書きたいと思います。
説明する上で、酒と私の歴史を知っていただくことが必要だと感じたので、その辺りもダイジェストでお届けします。
ダイジェストとはいえ、長くなりますので、記事は前編・後編に分けて書きたいと思います。
酒癖が悪い父におびえていた子ども時代
私の父は酒癖が悪いです。
酔っ払ったときは、声が大きくなり、何か気に触ることがあると怒りやすくなりますし、暴力的になります。
私が小さい頃は、父が仕事から夜遅く帰ってくると「今日も酔っ払っているのかな」とビクビクしていたのを覚えています。
父が帰ってくると眠った振りをしていることがありました。
本人は気持ちよく酔っ払っているからでしょうが、眠った振りをしている私を可愛がるように起こしてきて、私が嫌そうな態度をとると気を悪くします。殴られたこともありました。
父は自分の酒の強さに自信があります。
自分が酒に強いことを誇りに思っています。
「おれは酒が強い」といったニュアンスの発言を、私は何度も耳にしています。
一つだけ、父の酒に関して良いところを挙げるなら、家では飲まないということです。
仕事の関係や友達と集まったときにしか飲みません。
今思えば、「父の酒」と「私の酒」は非常によく似ています。
酒を覚えた大学生時代
小さい頃に父の嫌な酒を目の当たりにしていて、酒なんて何が良いんだろうと思っていましたが、大学生になりしばらく経つと、自分も酒を飲み始めていました。
初めて飲んだ日のことは今でも鮮明に覚えています。
当時アルバイトをしていた飲食店の懇親会が、酒の初体験でした。
何杯か飲むと、やけに気持ち良く、立ち上がると少し足元がふらつきました。
「これが酔っ払いかー」と初めて自分自身で感じて、普段よりも圧倒的に楽しいと思いました。
そのときに「タチバナ(←私です)、酒強いな。全然顔に出ないな」と言われて、喜んでしまいました。
喜んだのは、その言葉を「自分が他の人よりも優れている」と受け取ったからだと思います。
「酒に強い=人間性能が高い」という価値観は、おそらく父に植え付けられたものなのでしょう。
その後、自分は酒に強いということを周りにアピールするかのように、飲みの席ではがんばって飲むようになりました。
飲むと普段よりも上手に話せるような気がするし、そんな自分は周りから面白いと思ってもらえているような気がしました。
実際にたくさんの飲み友達ができました。
記憶がなくなるまで飲むことも多々ありました。
何件ハシゴしたのか、いくら使ったのか、どうやって家に帰ったのか、全く覚えていないこともありました。
そういった話を周りにすると、結構笑いが取れます。
破天荒な自分を自慢気に語り、そんな自分を誇りに思っていました。
一度だけ、警察沙汰に発展したトラブルがありました。
親には大変怒られましたが、何とか示談で済みました。
酒癖が年々悪化した社会人時代
その後、社会人になりました。
相変わらず酒は自分の取り柄で、上司や先輩と酒を介してすぐに仲良くなりました。
ただ、社会人生活が進むにつれて、年々失敗の回数が増えていきました。
朝まで飲んだ挙げ句、次の日の会社を遅刻したり、財布やスマホを無くしたり。
パソコンを無くしたこともありました。
はじめのころは失敗をポジティブにとらえて「名前を覚えてもらえて良かった」とか思っていましたが、回数が重なるにつれ、周りの白い目が気になってきました。
一番迷惑をかけたのは、家族です。飲み会後にはタクシーで帰ることが多かったのですが、タクシーに乗ると睡魔に襲われ、深い眠りについてしまいます。
起こそうとしても私が一向に起きないので、困り果てたタクシーの運転手さんは交番へ私を運びます。
最終的には警察の方に自宅まで運んでもらうのですが、それが週に1度くらいの頻度でありました。
家族はいつも警察の方に謝ってくれていました。
その姿を見て、私は家族に怒り始めます。
なぜ謝るんだと。
終わってますね。
家族からは「頼むから酒をやめてくれないか」「アルコール依存症外来に行ってくれないか」と懇願されました。
そのときは「アルコール依存症」というものがどういう病気なのかよくわかりませんでしたが、インターネットで診断テストをやってみたところ、アルコール依存症の判定が出ていました。
(後編に続く)

テンさん、はじめまして。
私にも飲酒問題があります。
「減酒」という治療法があるのを知り、色々なサイトを渡り歩きこちらに辿り着きました。
テンさんのお話はとてもわかりやすく興味深いです。
私も頑張りたいと思いました。
コメントいただきまして、ありがとうございます。
何かの参考にしていただけているのであれば幸いです。