アルコール依存症の原因 についての記事を先日公開しました。
もしまだご覧になられていない場合は、下記からアクセスしてみてください。

その記事の中では、
アルコール依存症はれっきとした病気。それも脳に起こる病気です。
と書かせていただきました。
これは真実です。
そして、アルコール依存症患者について、
その人がもともとダメな人間だからではなく、長期的にお酒を摂取した結果、お酒がその人の脳をダメにするのです
とも書かせていただきました。
もしかすると、ここに違和感を感じられる方がいらっしゃるかなぁと感じながら、この文章を書きました。
実際に私も違和感を感じたり感じなかったりして、複雑な感情です。
違和感。その正体は…
その違和感の正体は、すばり、
アルコール依存症になったことを酒のせいにしているように聞こえる
ということです。
アルコール依存症は酒を飲まなければなり得ないので、酒のせいであることに間違いはありません。
でも「じゃあなんで酒を飲むようになったの?」と深堀りしていくと、私の場合は、自分の責任に行き着いてしまうのです。
皆さんはどうでしょうか?
もし「自分がアルコール依存症になった」という事実の原因が、自分や自分以外の誰かや環境にあると思っているのであれば、「酒が私をアルコール依存症にした」には違和感がありませんか?
原因の深堀り
アルコール依存症の原因の中では、アルコール依存症患者への実際の調査を通して、「なぜお酒にはまったのか?」を掘り下げました。
それらは、「ストレスの対処法として」だったり「人付き合いや居場所を求めて」だったり「現実から逃れるため」だったり「気分転換や娯楽として」だったりしました。
私の場合はすべてに心当たりがありました。
ここでは、これらを自分に当てはめて、さらに掘り下げてみます。
ストレスの対処法として、酒にハマったのであれば、ストレスは何だったのか?
私の場合のストレスは…
「大学時代に本当にやりたいことが見つからず、もとい、見つけようとせず、でも何か見つけなくてはと思いつつ、でも動き出すことはせず、パチンコやスロットに明け暮れて、そのうち学業に支障をきたし、留年の危機に追い込まれた精神的なストレス」
とかでしょうか。
ストレスだけでなく、現実逃避の要素もここに含まれます。
これって、やりたいことを探そうと努力しなかった自分が悪いと私は思っています。
「人付き合いや居場所を求めて」の面ではどうでしょうか。
酒を飲みに行くと、特に一人であれば新たな出会いがたくさんあり、新鮮で面白かったです。
馴染みの飲み屋ができ、歳の離れたマスターと話すのも楽しかったです。
人と接することや居心地が良いことは、気分転換であり娯楽でもありました。
でも、酒を介さずとも、それらの要件を満たすものはあったでしょう。
特に大学生であれば、例えばサークル活動なんかでも良かったでしょう。
そうせずに、酒自体や飲み屋を求めたのは、自分のミスチョイスだったと思います。
そう考えていくと、やっぱり悪いのは酒ではなくて自分だろうと思うのです。
他の誰かのせい、かもしれない
もちろん世の中にはアルコール・ハラスメント(アルハラ)によって不幸にもアルコール依存症になってしまった方もいらっしゃるでしょう。
悪いのが明らかに自分ではなく他人だと言い切れる場合もあります。
また、もとを辿れば、子ども時代に親や周囲から受けた何かしらの影響が原因になっている場合もあるでしょう。
私の父は非常に酒癖が悪く、私は子ども時代に父の酒で嫌な思いをたくさんしました。
父の影響は、私がアルコール依存症になった一因だと思います。
原因は無理に絞らなくて良い
ここまで述べてきたように、
酒がアルコール依存症の原因だ!と言われると「そりゃそうだ」です。
「いやいや、酒を飲んだ私が悪いのです」とも言えます。
「自分は悪くない。あの人が私をアルコール依存症にしたんだ」と言うこともできます。
原因はどこまで掘り下げるか、だったり、どれほど自分に厳しく(もしくは甘く)判断するかによって変わります。
そして、自分と他人で認識が異なることも往々にしてあります。
「あなたは◯◯だからアルコール依存症になったのよ。もっと◯◯したら良かったのに」とか言われて、「うーん、それはそうかもしれないければ、それは一因でしかなくて…うーん」みたいな感じです。
違和感の正体はたぶんこの辺です。
原因の原因…の原因?
正しいのはどの原因?
酒で失敗したときや適切に治療したいとき、原因がわからないと良くありません。
いくつも原因があって…というのは、私は好きでないのですが、前述のように絞り切るのが大変難しいです。
原因の追究、私は諦めました。
でも「酒が原因」というのは、アルコール依存症患者のすべてに共通して言えることではあります。
なので、治療、すなわち前を向く際には、もうこの理由で十分だと思っています。
その先にある「自分」や「自分以外の誰か」や「環境」という原因の追究は保留です。
開き直りというわけではありません。
アルコール依存症患者は必ず周りの誰かに迷惑をかけています。
その方々への謝罪や感謝の気持ちは忘れてはならないと思いますし、その表現も大切です。
その表現はアルコール依存症になった原因を特定して、原因を潰すことでしょうか。
もっとシンプルな表現方法は治療だと思います。
違和感の正体を深追いすると、後ろ向きな感情におそわれ、そして、結局正体を掴むことも難しいでしょう。
正体はいずれ少しずつ、時間が経てば見えてくるかもしれません。
そんな希望を抱きつつ、忘れ去るわけでもありませんが、私は自分のアルコール依存症の原因の追究を保留していて、本当の意味ではまだわかっていないのです。


症状概要・原因・原因の原因
感銘いたしました
素晴らしい記事をありがとうございます
今後も期待します
古屋斉
コメントいただきましてありがとうございます。
今後も週1回程度、「アルコール依存症という病気」というテーマで記事を出していくつもりです。
引続きよろしくお願いいたします。