アルコール依存家族とアダルトチルドレン [中編]

アルコール依存症という病気は、自分だけでなく、家族にも悪影響を与えます。

両親のアルコール依存症の影響でアダルトチルドレン(AC)となったFさんの体験記を掲載いたします。

前編・中編・後編の全3回の中編です。

前編をまだお読みになっていない方はこちらを先にどうぞ。

アダルトチルドレン[前編]アルコール依存家族とアダルトチルドレン [前編]

[中編] はじめに

アルコールやドラッグ、ギャンブルなどの依存症を抱えたり、精神疾患や偏狭な思考により機能不全に陥ったりしている家族のもとで育った子供のほとんどが、アダルトチルドレン(AC)となります。

アルコール依存症の親に育てられた私は、当然これに当てはまるのですが、自分は社会常識がありマナーを守れるちゃんとした大人だという誤認識がその発見を遅らせてしまいました。

ACは必ず他人を巻き込み迷惑をかけ続けますので、自分がACであることを認めることはとても困難です。

私もそれを認知しながらもこの状態に長年苦しんでいます。

アダルトチルドレンとは

アダルトチルドレン(AC)という考えは、1970年代のアメリカの心理学者などの間で、アルコール依存症の親から育てられた子供が人間関係や仕事など、大人になって社会生活に困難をきたしている人が多いことを発見、研究し始めた頃から広まり始めました。

現在その対象は、ドラッグなどアルコール以外の依存を抱える家族、DVなどの虐待、保護者としての役割を果たせないなど機能不全の家族に育てられた子どもも入ります。

ACの状態で大人になると、社会生活になじめず、親と同じようにアルコールにはしったり、精神疾患を患ったり、若いうちに自ら命を絶つ人の割合が高いという結果があります。

戦う・攻撃する

私は誰に対してもとにかく攻撃をしました。

攻撃をするためには準備として、学校や職場などで人に会う前にその日のシミュレーションをします。

誰に出くわして、その誰かはどんな性格で、どんな態度で、どんなことを言うのか。

私はそれに対してどういう言動をすればその人より優位に立てるか。

これは、幼い頃から親の攻撃にさらされてきた私の防衛反応です。

いつ飛んでくるかわからない母親のビンタ、酒を飲むと何をしでかすかわからない父親の人格、人間とは思えないほどの馬事雑言を子供に浴びせる親への対応にいそしんだ結果、人は常に攻撃してくる怖いものだと学習しました。

シミュレーションやマウンティングなど、人の人格を無視する利己的でひどい妄想の机上の空論で、横暴な態度ですが、先に攻撃することで自分が傷つくことを回避できる方法だったのです。

ただ、家庭の延長で学校や職場で常に戦う姿勢だった私は、本当に愛をかけてくれる人の心も攻撃し、結果一人の味方も仲間もできませんでした。

隠す・逃げる

幼い頃から最近まで、私の顕在意識(これが自分の考えだと認識している部分)では私の親はきちんとした常識的な人たちで、周りとなんら変わらないとずっと思っていました。

でもなぜか心や体はそれとは違う反応をしていて、無意識に二人を「隠そう」と動いてしまいます。

自分がバカをやってみせて周りの大人を笑わせたり、なにか問題を起こして意識を向けさせたりと、恥ずかしい父と母を見せたくない一心でピエロに徹していました。

お酒を飲むと誰かれ食ってかかり迷惑をかける父や、それを見て見ぬふりをしてかわいそうな女を演じる母、そしてそんな親から育てられている子供だと周りから不憫に思われることが、毎回この上ない苦痛で恥ずかしくてたまらなかったんだと、今なら二人を隠したかった理由はわかります。

そのピエロは、大人になってからの人間関係で、特に一番嫌いなはずの飲み会によく使われます。

家に帰っていても、夜中であっても誘われれば参加して盛り上げ、コンパは毎回人数合わせに呼ばれていましたが、必要とされているのだと勘違いをして喜んでいました。

まるでティッシュかのように使い捨てのコマとして扱われていても、それが自分の役割で人から頼りにされているのだと思い込みます。

人に迷惑をかけてばかりの親を隠したくて始まったピエロは、結局そんな親から育てられた価値のない自分を隠すためにやめられなくなっていました。

「隠す」ことをしてしまうのは、ミスや至らないところを家族から執拗に非難されてきたことも原因の一つです。

子供ですから、間違ったりできなかったりは当たり前ですが、機能不全の親にそれは通用しません。

私の両親も、私が間違ったりできなかったりすると、怒ったりたたいたり、人間失格かのように非難したりが常でした。

その瞬間、快楽を感じているのではないかと思うほどいきいきしていた親の姿が、脳裏に焼きついています。

「そんなに怒られるならミスを隠そう」

「私じゃなくて誰かがやったことにしよう」

小さな子供は、そこから逃れるためにどんな手を使ってでも自分を助けようとします。

大人になるにつれて、それは正しい人間のありかたではないと理解する理性も学びましたが、地獄のような日常で身に付けたサバイバルの術は、強烈に体と思考の反応に残り、瞬時に私の言動を決めてしまいます。

唐突に嘘をつく自分を、激しく嫌い責め続けましたし、今でも「嘘をつく」「責める」というこの反応は瞬間にセットで起こります。

二つの間に挟まれると、人は罪悪感と自己嫌悪の沼に堕ちていき、生きる情熱をなくします。

こんな卑怯なことをしてでも自分を助けたかった子供の頃の私を優しく許すことが、今の私が向き合っている大きな課題の一つです。

[中編] まとめ

まずこの二つは、私が大人になってからもっとも苦しんで、今も毎日取り組んでいる自分を許すことの大きな課題の柱です。

望まずともACになってしまった人は、誰しも同じような経験をしているのではないでしょうか。

まずは自分が何に苦しんでいるのかを明確に意識にあげる大変な作業をしなければなりません。

それにはやはり自己否定や非難ではなく、今の等身大の自分を見る愛が必要です。

この文章を読んでいただいた方が、自分を地獄から救い出したいという愛があるんだということに気づいてくだされば本当に幸いです。

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