アルコール依存症という病気は、自分だけでなく、家族にも悪影響を与えます。
両親のアルコール依存症の影響でアダルトチルドレン(AC)となったFさんの体験記を掲載いたします。
前編・中編・後編の全3回の前編です。
[前編] はじめに
自分もしくは家族が、毎日少量でもお酒を飲み続けていませんか?
冷蔵庫には必ずビールやワインなどのお酒のストックがありませんか?
お酒を飲むときに「いつもはそんなに飲まない」とか「記憶がなくなるまで飲んだことはないから」「飲んでもちゃんと家までは帰れる」などと言い訳をしていませんか?
アルコール依存症は、一升瓶を片手に奥さんにDVをするような親父だけがなるようなものではありません。
だれでも気付かないうちに入り込み、いつの間にか根性論とか自己責任などの甘い考えでは抜け出せなくなってしまう状態です。
3世代アルコール依存症
私は4世代同居の家で暮らしていました。
私が生まれる前に、曽祖父はお酒の飲み過ぎからくる脳卒中で亡くなり、私が2歳になる前に祖父は肝硬変で亡くなりました。
父と母はどちらも結婚した当初から1日たりともお酒を休むことができません。
曽祖父と曽祖母は酒が入ると祖母をせっかんし、父は酒を飲むと人が変ったようになり、私を妊娠していた母に馬乗りになって殴ったそうです。
母は毎日ヒステリックになり、私や妹に毎日罵声や暴言を浴びせました。
こんな家でしたが、私はいたって普通の常識的な親のもとに育てられたと何一つ疑うことなく大人になりました。
なぜならば、父と母はお酒を飲まないときはきちんと働き、私は大学まで卒業したからです。
自分の家族がアルコール依存に陥っていたと気付いたとき、相当なショックと恥ずかしさが湧きあがってきたと同時に、なぜかやっぱりなというような不思議な安堵も感じました。
このことを知ってから、自分の家族の話を周りの人にするようにしています。
すると、私の家族のようにアルコール依存症の人がいる家は特別なことではなく、意外にも、家族の誰かしらがアルコール依存になっていた、もしくは今現在なっているというのがほとんどでした。
たいていの人がその事実を意識的に隠しているのではなく、指摘されるまでアルコール依存の人など周りにはいないと思いこんでいたのです。
たくさんの人と話せば話すほど、日本中、世界中どこにでもアルコール依存症の人を抱える家はたくさんあるんだと知りました。
私が生まれ育ったのは、ある意味どこにでもある「普通の家」だったのです。
ただ、自分の家を特別だと思いたかったのも事実で、それは私の人生の上手くいかないこと全てを、アルコール依存症の家族に育てられたせいにしておけば、自分の人間性の未熟さから逃げる言い訳ができたからです。
逆に、多くの人が私の家族のような家を他人ごとにして、「あの人の家は特別なんだ」と思い込んでしまうということもあります。
それは、家の話は恥として無意識的にも代々ひた隠しにされたり、あるいはそんな家族がいて苦しんだことすらも家族の美談となって、子や孫に伝えられてしまっているからです。
例えば、「じいちゃんは酒を飲んでは道端に寝たり、大ケガをして病院に運ばれたりして大変だったけど、働き者でみんなから慕われるいい人だった」というように。
スーパーやコンビニで買い物をするときに、いつもお酒コーナーに立ち寄っていませんか?
いつも飲み会に誘われて断れないでいませんか?
お酒を飲んだ後、お風呂にも入らず歯も磨かず、ソファやこたつで寝ることがルーティンになっていませんか?
自分を、家族をアルコール依存症ではないかと疑ったことはありますか?
自分は、家族はアルコール依存症になんてなってないよね、と問いかけてみたとき、心がざわつきませんか?
カエルの子はカエル
私はお酒が強い方だと思い込んでいましたし、家では全く晩酌をしなかったので、アルコール依存にもならないという自負がありました。
たばこは日に3、4本ほど吸っていましたが、職場が変わり、たばこを吸える環境でなくなってからは自然とやめることができて、お酒も飲み会の時だけ、煙草も吸わない、自炊する、健康に気を使える大人になったと思っていました。
ところが数年前大きな災害が身の回りで起こり、普段のキャパシティを超えたストレスが数日かかったころです。
スーパーで何気なく梅酒を手に取り、ちょっと夕食のお供にと飲んだところから、食事の時間の飲酒がはじまりました。
はじめは夕食のときだけだった飲酒も、次第に夜テレビを見ながら、休みの日にお昼ごはんのときからと、時間も量も増えていきました。
それが2週間ほど続いたとき、はたとこれはアルコールを手放せなくなっているのではないかと気づきました。
それに気づけたのは、自分の家族の大半がアルコールで苦しんでいたことを知って事実を認識していたからです。
「ああ、親と同じ飲み方をしている。カエルの子はカエルだな。」
そのことを自分で見たとき、手に持っていたお酒をすべてシンクに流しました。
それからは、1年に数回、小グラス1杯ほどしかお酒を口にすることがありません。
その当時の精神状態は、特に落ち込んでいたということもなく、災害の復旧のため仕事も早く終わっていて、ごはんも自炊してしっかり食べて、睡眠もきちんと取れて、普段よりも健康的な生活を送れて良いなと思っていたほどです。
それでも、日常のふとした瞬間から、お酒を毎日飲む生活になっていきました。それも、しばらく気付かないほど自然に。
状況は少し非日常的だったかもしれませんし、家系が丸ごと依存症だったということも大きいと思います。
ただ、お酒にはまるきっかけやストレスはどこにでもころがっているのが現状です。
自分の家族を思い出してみて、お酒を飲むのが好きな人、飲むと人格が変わる人がいなかったでしょうか。
家族や家系にアルコール依存者がいたことを認識することは、自分を護る最後の砦に、すでにアルコールを手放せなくなった人はそこから抜け出す大きな一歩になります。
[前編] まとめ
アルコール依存症は、特別な病気ではありません。
認知されていない依存者は、国や世界の保健機関が発表している数倍、数十倍の人数になるのではないでしょうか。
なぜなら、私の家族は、毎日お酒を飲み、あるときは誰かを殴り、人が変わったようになり、関連する病気で亡くなっていますが、誰ひとりアルコール依存症だと診断されてはいないからです。
自分がアルコール依存症だと気付いた人も、気付くのが怖くてまたアルコールに逃げる人も、家族がアルコール依存で途方に暮れている人も、どうかまず自分に優しくしてください。
決して、自分が悪いと、自分のせいだと責めないでください。
ジャッジはすべての治癒を遅らせます。
私もアルコール依存の家族に育てられ、地獄のような日々を生き抜き、その傷と大人になりきれない未熟さに気付きながらも、まだまだ自分に優しくできない、果てしない治癒の途上にいる人間の一人です。
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